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ヨーロッパで近代国家が成立し、ヨーロッパによる海外侵略が始まり、国を識別する国旗が必要となった時、日本は、江戸幕府による鎖国(1639年〜1854年)を行っていた。隔離された環境の中で中国、朝鮮、オランダのみと貿易を行い交流していた。このような環境の中で国旗を必要としなかったし、国家意識も希薄であった。
幕末にヨーロッパ・アメリカ合衆国の軍艦が、日本列島に到来し、鎖国をやめて、貿易をするように迫るようになって、船を識別する必要が生じた。当時、ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国では、船には国を示す国旗を揚げていた。日米和親条約が1854年の3月に結ばれた。この年の7月、江戸幕府は外国船と区別するために「日本総船印として『日の丸』を掲げるように老中阿部正弘の名で布告した。ちなみにその他、各藩の船印もあり、江戸幕府の船印は『大中黒旗』(徳川氏の先祖の新田義貞の家紋を旗にしたもの。源氏の嫡流を示す「一」を図式化したもの。)であった。
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| 島津斉彬の献策がなければ、左の「大中黒旗」が国旗になっていたかもしれない |
徳川幕府は、初め『大中黒旗』を日本総船印、『日の丸』を徳川幕府の船印と考えていたようであるが、薩摩の島津斉彬公の意見で、逆転した結果であった。徳川幕府は、安政五年(1858年)7月9日に『日の丸』を国旗(日本総船印)とする旨をアメリカ、イギリス、フランス、オランダ、ロシア等の修好条約を結んだ国に通達した。『日の丸』を国旗として国際的に認知することを求めたのである。
『日の丸』の歴史をたどると、大宝律令(701年)が制定された頃、太陽と月を表す竿からつり下げる長方形の日幅(につばん)・月幅(げつばん)が宮中の儀式で用いられていた記録がある。後醍醐天皇も用いていた。
また、源平の合戦や戦国時代にも、『日の丸』の旗を旗印として用いた記録がある。また、江戸幕府になってからも、延宝元年(1673年)以来、幕府直属の御城米積船の船印として『日の丸』が用いられていた。幕府の船の船印から日本の総船印にこれを格上げしたのである。
明治維新(1867年)になってからも、これを受け継ぎ、太政官布告第57号によって日本の船印として『日の丸』が確認された。以後、国旗としての明文法はなかったものの、国際的にも国内でも国旗として認知されてきた。
国歌については、明治3年(1870年)イギリス人の軍人フェントンが、ヨーロッパ各国には、国歌があり、船が入港するときに国歌を演奏する。日本にそれがないのは残念なので、歌詞を出してもらえば私が作曲すると、大山巌に伝えた。大山は愛唱の薩摩琵琶歌「蓬莱山(ほうらいさん)」の文句から取り出して、フェントンに示した。これが、『君が代』の歌詞である。
フェントンの作曲は、不評だったので、現在の曲は、日本の伝統音楽の雅楽の調で、明治13年(1880年)奥好義(おくよしいさ)が作曲し、ドイツ人のエッケルトが編曲したものである。同年の天長節(明治天皇誕生日=11月3日)に明治天皇の前で初めて演奏された。そして、明治26年(1893年)より祝日大祭日の唱歌として「君が代」の使用が始まった。以後国歌として扱われるようになっていく。
『君が代』の起源は、『古今和歌集』(908年)の賀歌(おめでたいとき歌う和歌)に始まる。 「わがきみは 千代にましませ さざれ石の 巌となりて苔のむすまで」(わなたは千年も万年も長生きなされませ、さざれ石が成長して、堅い石=巌となって、苔が生えるまで)ここでは、我が君=天皇という意味はまだない。 『和漢朗詠集』(1013年頃)にはこの歌が変化して『君が代』の歌詞になって朗詠されていた。あまり学校で教えられることがないので『君が代』の歌詞をあげておく。
『君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで』
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| さざれ石(出雲大社蔵) |
さざれ石というのは、石灰岩が溶けて礫を固めて巌となる石のことである。それほど長い間という意味がある。以上述べたように、一般によく知られ歌い継がれていた歌が『君が代』である。明治時代にも正式に国歌を制定しよういう動きがあり、色々検討されたが、これに変わる国歌を選定することが出来なかった経緯がある。国民に定着していたのである。
結論を言えば、国旗は、軍国主義の産物ではなく、江戸末期から国際的に認知されていた。また、国歌の歌詞もまた、国民により古くから愛唱されているよく知られていた賀歌であった。
一般に国旗・国歌が変わるときは、政治体制が変わり、前政権が否定されたときである。つまり、国旗・国歌を否定する動きは、政治体制を変えようという動きになる。さて、昭和20年(1945年)の敗戦後を契機として新しい憲法が制定され、明治憲法による体制が否定された。天皇は、立憲君主国の君主から、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」となった。外国では、国家元首の扱いであるが、日本では、象徴天皇となった。この変革のさなか、一時期、連合国最高司令部(GHQ)によって昭和20年(1945年)10月から翌年の4月まで国旗を掲げることが禁止されたが、改めて「日本国旗を掲揚すること」が許可された。
明治末期から昭和20年にかけてアジア諸国への侵略の歴史があった。日本の国旗・国歌に恨みをいざかざるをえない人々がいることは不幸なことであり、再びこのようなことがない平和な世界になること望む。ある在日韓国人から『国旗・国歌』を尊重しない人は信用できないといわれた。国に対する帰属意識がない人間は信用できないと言われたのである。国旗・国歌を尊重しない国はない。国旗の掲揚の仕方や敬意の表し方等学校教育でなされるべきであろう。まして、音楽の時間に国歌を教えない国はないのではないか。 『日の丸(日章旗)』『君が代』は、法律で決まっていないから国旗・国歌ではないという主張で、主として学校の入学式・卒業式が政治闘争の場となっていることに憂慮して、平成11年(1999年)に「国旗及び国歌に関する法律」で国旗・国歌として法制化された。同時に「君が代」の『君』は、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である天皇」を指すという政府見解が示された。
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