| 書 名 | 内容・目次等 |
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| 内村鑑三の末裔たち | 目次大項目 ・土着した末裔たち ・現代に生きる末裔たち ○近代日本の夜明けとともに生まれた思想潮流「無教会主義」は、15年戦争と激動の“70年”にどう顕現したか。 |
| 寂聴 般若心経 生きるとは |
目録抜粋
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| 人は変われる |
著者は執筆時 都立松沢病院精神科臨床医。 東京医科歯科大学で睡眠脳波のコンピュータ解析 を通じて人間の睡眠の構造や意識の変化を探る研 究に従事 目次抜粋
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| 愚庵全集 | 愚庵年譜(抜粋) ・安政元年 磐城国平城下(現 福島県)に生まれる。 ・明治11〜12年 山岡鉄舟の指導を受ける。後、鉄舟により侠客清水次郎長(山本長五郎)に託せらる。 ・明治14年 次郎長に寄食、遂に次郎長の養子となり姓を山本五郎と称す。多くの無頼の博徒を駆使し富士裾野の開墾にあたる。この間「東海遊侠傳」別名「次郎長物語」を脱稿。 ・明治20年 洛東林丘寺、滴水禅師の得度を受け鉄眼と称す。 ・明治22年〜23年 林丘寺に在り参究。 ・明治25年 滴水禅師の許可を得て、京都清水産寧坂に庵を結ぶ。 ・明治37年 寂 一生を通じ性格剛胆、よく詩を作り、和歌をものにす。 この書は愚庵和尚年譜、和尚小伝とともに愚庵の遺作を集めた。「全集」と題したのは、愚庵の著作は本書に掲載されたものを以て尽きていると信ずるからである。ー以上本書年譜、小伝、例言よりー 愚庵全集目次
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| 佛教芸術とその人物 | 宗教究竟の目的に関しては或いは以て絶対価値の体験にありとし、或いは以て人格の完成にありとなす。語は異なりといえども要するに其の帰する所は一つである。而して宗教的偉人の行動や宗教的芸術はまた一つとして其の人格の機に触れ、時に応じて顕れたる片鱗にあらざるはない。・・・本書緒言より・・・
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| 觀音經講話 | 本書「序」より抜粋 本経は「法華経」二十八品中、その題二十五品目に相当し、大聖釈尊が古今無比の妙弁を以て觀音菩薩の妙智力を開顕せられたものである。古来より我が国衆生の信仰の標的となって、劫を歴ること一千有余年、国民思想の中枢を成し来たれる聖典である。「柳は緑り觀音微妙の相、松は吹く説法度生の声」で、天地法界・森羅万象、悉くは、皆、觀音示現の大説法・大応現たらざるはないのである。故に凡夫と雖も一念発菩提心によりて、ひとたび悟理の智見を開かば、這般の妙趣を掬し得て、いながらにして無上正覚の境涯を覚知することが出来るのである。本書は最も平易に最も合理的に、また最も現代的に(昭十三年当時として)、この悟理の智見を打開して吾人が有する煩悩妄想の迷夢を徹盡し、以てその本具の佛性を開顕せんことに努めた。従って本書は、学究的に解説せんとするよりも寧ろ吾人の信仰生活に即して其の真髄を徹底せしめんことを期した。・・・ |
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鈴木大拙禅選集1 および 鈴木大拙選集 第2巻 禅の思想 |
禅は行為である。生活である。日々の経験そのものである。日用光中の行住坐臥である。それで「平常心是道」ともいい、「日々是好日」ともいう。・・・ー本書「序」よりー 目次抜粋
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| 鈴木大拙・禅選集3 禅による生活 | 禅とは生きることであり、禅は生活である。生きることが禅なのだ。われわれは禅によって生きているのでなくて、禅そのものを生きているのだ。・・本書8頁より・・
目録
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鈴木大拙・禅選集4 金剛経の禅・禅への道 |
目次抜粋
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| 禅 百 題 | 目次抜粋
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| 恩讐の彼方に | 本書は昭和21年初版、昭和23年再版の鎌倉文庫発行の「恩讐の彼方に」です。若干表紙にいたみと、古さによるよごれがありますが、古色蒼然とした当時の時代背景を、まざまざと表す装丁です。目次 ・恩讐の彼方に ・遊女の天國 ・蘭学事始 ・入れ札 ・仇討ち三態 ・等十郎の戀 ・石本檢校 ・笑ひ ・忠直郷行状記 |
| 親鸞諸作全集 | いずれも和文、ふりがな付、わかりやすく親しみやすい記述。各頁とも脚注または傍注付 目次
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| 鈴木大拙・続禅選集2 禅とは何か |
本書は昭和2年から3年にかけて大阪妙中禅寺においてなした私の講演の 筆記をまとめたのがこの書である。 -本書、「序」より- ◎目次抜粋 ・第1回 宗教経験としての禅 ・宗教経験とは何か ・何を仏教生活というか ・仏教の基本的諸概念 ・心理学から見た禅 ・第2回 仏教における禅の位置 ・宗教経験の諸要素 ・宗教経験の諸型 ・宗教としての仏教 ・神秘主義としての禅 ・西津文化と鈴木大拙博士ー「禅とは何か」の解説として 岸本英夫 ・ |