はじめに

 

 私は高野山霊宝館に保管されている国宝「阿弥陀聖衆来迎図」(高野山有志八幡講十八箇院蔵

 

 )をめぐる謎に興味があり、いろいろとしらべております。

 

 本来迎図はもともと比叡山東麓の安楽谷にあったものですが、1571(元亀2)年9月織田

 

信長の比叡山焼き討ちの際持ち出されたものといわれています。もともと比叡山にあったものが

 

高野山に保管されているのです。

 

 本来迎図が比叡山から高野山にどのようにして流転したのか、ほとんど不明です。本来迎図裏

 

書に徳川家康の家臣本多広孝が本来迎図と関わりを持っていたことが記されていますが、徳川軍

 

が比叡山焼き討ちに参加したという史料はなく、この謎を解くには本多広孝の経歴を詳しく調べ

 

る必要があります。江戸時代、徳川家に仕えた武士の系図と略伝を集めた記録があり、これに本

 

多広孝の略伝が掲載されていますが、これだけでは本来迎図と本多広孝との関係を明らかにする

 

ことはできません。

 

 そこでこの記録にもれた本多広孝の動静を探索することが、謎を解く鍵の一つだと考えていま

 

す。いま私は当時の公家の日記その他に散見する本多広孝の記事を探索しているところですが、

 

これには時間がかかります。

 

 本来迎図が安置されていたと思われる安楽谷に赴くには、JR湖西線の比叡山坂本駅下車、西教

 

寺行きバスに乗り終点下車、山道を約一時間ほどたどると飯室谷不動堂を経て安楽律院に到達し

 

ます。同寺院は現在無人の寺となり建築物もほとんどなく、安楽谷に関係深い人物の墓碑がいく

 

つかある程度です。私が訪問したときも訪れる人はなく、寺内を掃除している人が一人いただけ

 

でした。

 

 本来迎図をめぐる謎に取り組んで約10年の歳月が流れましたが、その解明は未完でおそらく

 

永久に未完となる可能性が大きいでしょう。そこでこれまでの私の取り組みの経過と、友人S君と

 

交わした、この謎に関する感想と論評(S君は公表を了承)を公表してみようと決心した次第です。

 

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